2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)を宮城県気仙沼市で体験したサンドウィッチマン。
海沿いのロケ中に地震が発生し、テレビスタッフの指示によって安波山に避難。
津波に流される建物や人々、街が変わり果てていく姿を目の前で見ていました。
震災から4日後の3月6日には「東北魂義援金」を設立するなど、いち早く支援に向けての行動を取り、今でもずっと続けられています。
サンドウィッチマンの震災体験
宮城県気仙沼市でロケを行っている最中に東日本大震災に遭い、その夜は気仙沼のホテルのロビーで一夜を過ごしています。
雪が降る夜に毛布一枚で過ごし、翌日には岩手県一関市に移動。
当時の現状を随時ブログで報告し、富澤さんは連絡が取れない方のためにコメント欄を生存確認の掲示板として使ってもらってもらう機転を利かせていました。
東京に帰ってきたのは震災から2日後の3月14日で、すかさずテレビなどの取材を受けて現状を伝えています。
さらに16日には「東北魂義援金」を設立し、2019年3月6日までに合計420,444,156円が集められました。
↓では、震災当時から2日間のサンドウィッチマンの動向を、伊達さんのブログを元に改めておさらいしています。
サンドウィッチマンの3月11日は気仙沼で黙祷
サンドウィッチマンは東日本大震災の義援金についていち早く立ち上がり、今でも定期的に東北を訪れいつでも東北に寄り添っている印象ですよね。
2020年3月11日(水)を迎え、東日本大震災から9年が経ちましたが、毎年気仙沼を訪れて現地で黙祷しているんですよね。
伊達さんのブログを過去の9年さかのぼって、3月11日にどんな思いを持っていたのか見ていこうとおもいます。
2020年3月11日
正確には3月10日にアップされた伊達さんのブログでしたが、10日は東松島にいて11日に気仙沼を訪れると書かれています。
一部抜粋させていただきますが、地域によって格差が出てきてしまっている感覚を受けているようですが、これは現地に何度も訪れているから分かるリアルな思いですよね。
毎年、この時期に書いてますが…年月が経つにつれ、地域の格差が出てきており、復興のスピードやその町に対する期待感というのか、住んでる方々の『この町を元気にして全国からお客さんを呼ぶぞ!』という気持ちの格差が出てきている様な感じもします。
復興が進み、当時を知らない世代も増えてきていますし、伝えていくということの大切さを感じます。
復興が進んでいるという報道はよく見ますが、実際のところはどうなのか、自分の目で耳で確かめるというのも大切なのだと切に思います。
9年にもなると、震災直後には防災グッズを購入したり、お水や食料を備蓄したり…そんな事も今ではすっかり忘れてしまってる方もいると思います。
毎年、この日は改めて襟を正す1日になれば良いですね。
岩手県、宮城県、福島県はもちろんのこと、茨城県、千葉県、新潟県、長野県でも関連地震・津波が起きていますので、テレビなどはもっと取り上げてもらいたいところでもあるんですよね。
首都直下地震や南海トラフ巨大地震なども注目されていますし、今一度、防災への意識を高めておきたいものです。
2012年3月11日
戦後最悪の自然災害を乗り越えて、日本が大きくなったと書かれています。
まだまだ乗り越えなければならない課題は沢山ありますが…気持ちの面でもまだまだ前に進む事の出来ない方も沢山いらっしゃいますから。
やはり1年後も気仙沼を訪れ、↑の言葉からも当事者たちの心に寄り添っていることがうかがえます。
「日本人の意地だ!」と励まし、毎年このような言葉が心に沁みますよね。
2011年3月11日は雪でしたが、2012年3月11日も雪が降っていたと書かれています。
2013年3月11日
2013年3月11日にも気仙沼を訪れ、被災時にロケを行っていた「岩井崎の潮吹き岩」へ。
震災前は松の木で覆われていたが流されてしまい、龍の形をした松の木が残っています。
震災時に避難した安波山にて黙祷し、アナウンスやサイレンの音で当時を思い出すと書いています。
前にも書きましたが、是非とも被災地を直接訪れて欲しいんです。
きっと、この先ずっと教科書にも載る災害です。
若い人なら、将来、子供にちゃんと教えたりも出来るでしょう。直接訪れてみるのとテレビで見るのとはまったく違います。
直接見て、聞いて、感じて欲しいです。
ホントに人生の勉強になります。
高校生や大学生の若い世代の方々に沢山来て欲しいです。
そして、旨いもん食って温泉入って、お土産買ってまた誰かに伝えて下さい。
東北を想う気持ちが強くストレートに伝わってきますね。
2014年3月11日
3月10日のブログとなりますが、やはり気仙沼に向かい安波山にて3回目の黙祷へ。
住んでいた家などが、一瞬にして「瓦礫」と呼ばれるようになってしまうことに何ともいえない思いを語っています。
5年かかると思っていたようですが、3年経って瓦礫がなくなり、復興のスピードに驚くと共に、発見されている人骨のDNAの鑑定などにも触れています。
2015年3月11日
3月10日に宮城県庁を訪れ、三浦副知事へ東北魂義援金12,045,221円を手渡しています。
各地には3億8,000万円を届けているという情報も。
翌日に気仙沼に行き、あの日を含めて5回目の3月11日に想いを馳せています。
2016年3月11日
3月10日のブログアップでしたが、この年の3月11日は震災当時と同じ金曜日。
気仙沼に向かい、安波山での黙祷へ。
番組スタッフの適切な判断により、大津波が押し寄せる前に安波山へ避難…避難したから今もこうして生きています。
後に、地震発生時、我々とほとんど同じ場所にいた方が大津波の被害で亡くなった話も聞きました。
この文章には、考えさせられるものがあります。
2017年3月11日
気仙沼・安波山で6回目の黙祷、震災当時を含めると7回目の訪問。
このブログでは福島の原発にも触れ、当時の状況を分かりやすい表現で例えているので紹介しておきます。
被害の大きかった東北3県を『身体』の怪我に例えるならば岩手と宮城はもう間もなくギプスが外れるのかな…ただ、しばらくリハビリは続く模様。
しかし、福島はまだ治療が出来ていない…。6年経っても未だに治療方法を探している段階…。酷い傷口が更に化膿してしまう。
本当に…特効薬はないものか。
建物や街並みの復興はかなり進んだけれど、人に関してはどうなのか難しいと。
宮城県の復興が進んでも、東北全体が完治しない限り完全復興したとは言えない。
まさにその通りですよね。
2018年3月11日
毎年のように気仙沼を訪れ、地震発生したときにいたシャークミュージアムへ。
さらに、岡山から来て道路工事をしている方や、千葉県から派遣されて役所で働く3人の方と話し、他県からのパワーを感じ取っています。
さっきまで、番組スタッフと話をしていた。『あの日、気仙沼で朝からロケをしていて…ロケ場所の順序が違っていたら津波から逃げ切れなかった恐れがある』
『避難する方向を間違っていたら、もしかしたら…』
スタッフとそんな話をしていた。
考えただけでも怖くなる。。
あの日の事は鮮明に覚えています。
音も匂いも全て。
まぁ、忘れる事はないだろうな。
毎回、このような話を聞くと、サンドウィッチマンの2人も本当に紙一重だったんだなと考えさせられます。
2019年3月11日
この年も気仙沼へ。
当事者だからこそ、↓の言葉が突き刺さってきますね。
忘れてもいいですが、年に1度は思い出して貰えれば。
3月11日に、防災グッズの点検や非常食の確認をするとか…震災で亡くなった方々が身をもって教えてくれた災害の恐ろしさを、我々は後世に伝えていかなければならない。
直接震災と関わりのなかった方たちも、防災への意識を高める機会として、年に一度でも二度でも考えるようにしたいものです。
まとめ
サンドウィッチマンは、被災した際に逃げ込んだ気仙沼の安波山へ毎年訪れ黙祷をしています。
原発事故の影響で封鎖されていた地域が徐々に開放されてきていますが、仮設住宅で過ごしている方もいますし完全な復興はまだまだ。
メディアもいいイメージだけではなく、今の現実も伝えてほしいと感じますよね。
時間とともに記憶は薄れてしまうものですが、誰もが自然災害の被災者になってしまう可能性はあるため、日ごろから備えをしっかりしておくように心がけたいですね。
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