江戸時代は地震から半日で1,000坪の仮設住宅が完成!かわら版の江戸っ子ファーストを見習うべき

江戸時代は地震から半日で1,000坪の仮設住宅が完成!かわら版の江戸っ子ファーストを見習うべき


安政の大地震絵図 江戸地震の惨禍

2020年1月13日(月)12:00~テレビ東京で放送の「お江戸のリスクマネジメント~もしもの備え!今と昔~」。

 

江戸の人たちは、燃えやすくて倒れやすい木造の長屋が多かった時代にどのように生き延びたのでしょうか。

 

江戸時代の防災は、現代における対策にもつながるルーツが隠されています。

 

放送内容
火消しで活躍する条件は、イケメンだった
・地震から半日で千坪の仮設住宅ができた
地震保険のルーツは江戸にあった
出演者:林家たい平、東貴博、山崎怜奈

 

ここでは、地震から半日でできた1,000坪の仮設住宅、江戸っ子ファーストのメディアについて見ていきます。



江戸時代に大地震が連続して発生

1850年代には連続して大地震が起き、歴史的に見ても災害が続いた時代でした。

 

1854年7月9日:伊賀上野地震
1854年12月23日:安政東海地震
1854年12月24日:安政南海地震
1855年11月11日:安政江戸地震
1856年8月23日:安政八戸沖地震
1858年4月9日:飛越地震

 

まとめて「安政の大地震」と呼ばれ、一般的には東海、南海、江戸地震を指すことが多くなっています。

 

その中でも特に大きな被害をもたらしのが1855年に発生した安政江戸地震でした。

 

発生:1855年11月11日22時頃
震源地:江戸直下
犠牲者:4,000~1万人
マグニチュード:7クラス
震度:7クラス

 

地震直後には、約30ヶ所から火災が発生しましたが、風が弱かったため翌日の10時には鎮火し、津波の記録はありません。

 

被害を逃れた池上本門寺の五重塔には、現代にも活かされている建築構造があります。

 

心柱というもので、五重塔の内部の中心にそびえ立っている柱の存在です。

 

心柱はスカイツリーにも応用されていて、最大50%の揺れを抑えることができるというのです。

 

また、江戸時代にも被災者たちへの心遣いをうかがわせるものがあり、以下の2点が挙げられます。

・江戸っ子ファーストの報道
・半日で1,000坪の仮設住宅が完成

 

江戸っ子ファーストの報道「かわら版」

今では、テレビ、ラジオ、インターネット、新聞などで被害状況が確認でき、電話やメールなどで生存確認を行うことが可能となっています。

 

しかし、江戸時代にそんなものがあるはずもありませんよね。

 

そこで、被害状況を庶民に伝えたものが「かわら版」になります。

 

かわら版は、話題になることなら何でも扱うワイドショー、ゴシップ誌など、娯楽を伝えるものでした。

 

番組では当時のお話「犬人間になった男」というタイトルが紹介されましたが、どんな物語なのか非常に気になりますね・・・。

 

安政の大地震を受けて、出火情報倒壊情報が詳しく書かれているものも出回りました。

 

一般庶民は家族や友人知人の情報を知るのが難しく、情報が行き渡らないことで不安が募ります。

 

しかし、かわら版として流出したことで、心の不安を解消できたとも言われています。

 

飛脚の活躍によって、配達現場の被害状況をかわら版屋に被災地情報とともに提供。

 

地方から上京した家族への呼びかけや想いなどを載せることで「江戸っ子ファースト」の報道となったのでした。

 

まさに、ジャーナリストの先駆けとなったとも言えるものですが、現代にSNSなどではデマや誹謗中傷が多くなっていますが見習うべきものなのではないでしょうか。

 

また、かわら版の中にはナマズを懲らしめている錦絵などを描いた「鰻絵」も流行。


大鯰を懲らしめる民衆を描いた鯰絵

この頃にはすでに、地震を引き越す生物として認識されていたのです。

 

明日からもがんばろう!」「復興への希望」などの意味が込められていたのだとか。

 

ナマズが地震と関係あるのかどうかについては、↓の記事でお伝えしていますので参考にしてみてください。

 



半日で1,000坪の仮設住宅が完成

かわら版の中には、「上野」「浅草」などの地域の情報とともに「御救小屋(おすくいごや)」の情報も記載されていたものもありました。

 

御救小屋とは、今の避難所のようなもので、被災者に向けて建設されたことや何人が受け入れ可能かが記載されています。

 

寝泊まりができ、食事も提供してくれるなど被災者に優しい御救小屋。

 

浅草の雷門の前には、1,000人が避難できる大規模なものが造られたという記録も残っています。

 

しかも、その建築スピードは1,000坪をたった半日で完成させたというから驚きです。

 

そのスピードで完成させることができる仕組みが整っていたのだとか。

 

地震の3日後には、おむすび20万人分用意するなど早めの対応が可能となっていました。

 

囲米という米などの穀物をストックしているため備えも十分で、被災者に寄り添ったものになっていたのでした。

 

これらの食べ物はお金持ちの民間人が届けている場合もあり、炊き出しを行うこともあったといいます。

 

現代の避難所やボランティアにも通ずるものがすでに江戸時代にはあったということに驚かされますよね。

まとめ

安政の大地震の後には被災者に寄り添った対応がなされ、かわら版による被害状況の掲載や、避難所の設置が行われました。

 

倒壊しなかった池上本門寺の構造である心柱は、スカイツリーなど現代の高層建築にも活かされています。

 

江戸時代の防災は現代にも通ずる考え方も多く、避難所は半日で1,000人も収容できる規模の仮設住宅も完成させています。

 

地震のみならず気象による災害も多くなってきている現代において、江戸の災害を改めて考えることで防災への意識も高めていきたいところですね。

 

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