火消しで活躍する条件はイケメンだった!江戸時代の延焼を防ぐ荒技を紹介

火消しで活躍する条件はイケメンだった!江戸時代の延焼を防ぐ荒技を紹介


明暦の大火を描いた田代幸春画『江戸火事図巻』(文化11年/1814年)

2020年1月13日(月)12:00~テレビ東京で放送の「お江戸のリスクマネジメント~もしもの備え!今と昔~」。

 

現代の地震や火災の対策のルーツは江戸の町にあった!?

 

江戸っ子たちは、燃えやすくて倒れやすい木造の長屋が多かった時代にどのような備えを行って生き延びてきたのか。

 

江戸の災害リスクマネジメントを紹介していく番組となっています。

 

放送内容
・火消しで活躍する条件は、イケメンだった
地震から半日で千坪の仮設住宅ができた
地震保険のルーツは江戸にあった
出演者:林家たい平、東貴博、山崎怜奈

 

ここでは、「火消しで活躍する条件はイケメン!」について迫っていきます。



火消しで活躍する条件はイケメン!

18世紀の江戸は人口100万人以上、現代の東京の人口密度の4分の1ほどだったといいます。

 

今よりは過ごしやすそうに思えますが、燃えやすい家屋だったことも考えるとよく生き延びてきたなという印象です。

 

江戸で災害が起きた時に活躍するのが「町火消し」という存在です。

 

その花形である纏持ち(まといもち)の条件はなんとイケメンだったいうのです。

 

火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるように江戸時代には火事が日常茶飯事でした。

 

江戸時代の江戸では1,700件以上の火事が発生したといいます。

 

その中でもターニングポイントとなったのは、1657年3月2日~4日に起きた明暦の大火で、実に6割の家屋が焼失し、10万人が犠牲になっとされています。

 

番組では、江戸時代の火災によるポイントは以下の3つだとして紹介。

・豪快すぎる消火
・江戸の町を大改造
・江戸の3分の1にできた穴

豪快すぎる消火

四ッ谷の消防博物館にある江戸の町のジオラマでは、火災現場で水を掛けている様子はなく、しかしながら火は消えている情景が再現されています。

 

江戸の町は、燃えやすい長屋が密集していることもあり、非常に火事が起こりやすかったはずなのにもかかわらずです。

 

そこで延焼を防ぐために用いられた画期的な方法というのが「破壊消火」でした。

 

破壊消火とは、風下の燃えていない家を壊し延焼を防ぐ方法です。

 

棒の先がUの字となっている大きな刺股(さすまた)で柱を押し倒す。

 

さらに、棒の先に大きな爪のような金属が付いている鳶口(とびぐち)で家の壁を壊すなどして延焼を防いでいたのです。

 

火消しとして活躍したのが「町火消し」たちで、彼らの本業はとび職だったといいます。

 

家の構造を熟知し、家を壊すのも簡単ということでとび職がうってつけだったのです。

 

その中でも花形として活躍する「纏持ち(まといもち)」。

 

纏(まとい)と呼ばれる町火消しの各組が用いた旗印を振り上げたり回転したりして、踊るように飛び跳ねます。

 

派手に動いて目を引くことで、自分の組をアピールするとともに周りに危険を伝える役目でもあったのです。

 

力も使うため体つきがよく、目につきやすくするためにイケメンが条件だったという説もあります。

 

ちなみに、刺股(さすまた)は、今でも消防署の地図記号として使用されていますよね。

 

鳶口(とびぐち)は、現在でも消防の現場で壁を壊す際に使われています。

 

江戸の町を大改造・橋を架ける

隅田川にかかる両国橋は、明暦の大火を教訓に架けられたという話があります。

 

大規模な火災によって逃げた人々は、隅田川を渡って反対側に行きたかのですが橋がなかったためにできませんでした。

 

火に巻かれるなどして最大10万人が犠牲になったとも言われている火災。

 

両国橋はこれを教訓に作られた避難のための橋だったのです。

 

以降、大きな川には橋が作られていき、小さな川にも架けられていくことになりました。

 

また、靖国神社がある場所には、当時は家があったのですが焼けてしまいました。

 

しかし、その後は家を建てず、延焼を防ぐための火除け地(空間)として残したのです。

 

この方法は今の東京にも通じるものがあり、戦時中に被害の拡大を危惧して設けられた火除け地跡には環八道路環七道路が通っています。

 

渋滞の解消はもちろんのこと、延焼を防ぐ効果もあったのです。

 

江戸の3分の1にできた穴

燃えやすい長屋が多く炎がすぐに燃え広がる町並みの中で、時の将軍徳川吉宗は瓦屋根の建設を推奨しました。

 

一般庶民にまで「拝借金制度」を適用し、無金利でお金を貸したのです。

 

さらには燃えにくい土蔵の建設も推奨しますが、お金がない庶民は穴を掘って穴蔵とし金庫代わりにしました。

 

江戸の3分の1が穴蔵になったということで、町中穴だらけだったといいます。

 

宵越しの金は持たない」という粋な言葉や文化がありますが、意外と真面目に金品を守っていたんです。

 

軒と軒との間にも「うだつ」という仕切りのようなものを設けさせ、隣同士の家の延焼を防ぐように推奨。

 

「うだつが上がらない」という言葉がありますが、これは「出世したり地位が上がらない」という意味で、うだつを付けられるのはお金持ちしかできなかったことから来ているんです。

 

燃えにくい家は現代にも受け継がれ、燃えにくい建材、不燃性のガスを出して火を消すカーテンなども普及しています。



江戸時代の大火の歴史

江戸時代には「江戸三大大火」と呼ばれる大規模な火災があります。

明暦の大火
発生:1657年3月2日~4日
範囲:江戸の大半
犠牲者:3万~10万人
ローマ大火、ロンドン大火とともに「世界三大大火」とも言われている
明和の大火
発生:1772年4月1日
出火元:目黒の大円寺
範囲:麻布、京橋、日本橋、江戸城下、神田、千住、本郷、駒込、根岸、馬喰町など
犠牲者:約1万4,700人
行方不明者:4,000人以上
文化の大火
発生:1806年4月22日
出火元:芝・車町(現・港区高輪2丁目)の材木座付近
範囲:京橋、日本橋、神田、浅草など
犠牲者:1,200人以上
焼失家屋:12万6,000戸

 

1601年~1867年の267年間の間に起きた江戸の大火は49回

 

小中規模の火事も合わせると1,789回もあり、人口増加と共に増えていきました。

 

特に、1851年~1867年にかけては、17年間で506回を記録しています。

 

これは、江戸幕府の権力が落ちてきたとして治安が悪化したとされています。

 

まとめ

江戸時代の大規模な火災では、「破壊消火」や「火除け地」など理にかなった消火方法があり、「拝借金制度」まであったことなど、今の防災のベースのような方法がたくさんありました。

 

それにしても、町火消しの纏持ちはイケメンだったというのは驚きですが、注目を浴びさせなくてはいけないということから言えば、今の芸能人のようなものですよね。

 

これが、商品宣伝であればインフルエンサーでもありますし、まさに最先端の考えが当時からあったのかもしれません。

 

影響力のある有名な方が、防災への備えを常に発信してくれたら、どれだけ防災になるのかを考えるとぜひお願いしたいものです!

 

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